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5月12日は看護の日!ナイチンゲールの功績を知ろう!

2017/04/08

http://kininaru-trend.net

5月12日は「看護の日」。看護の日を含む日曜から土曜は「看護週間」で、2017年は5月7日(日)~13日(土)です。

看護の日は、ナイチンゲールの誕生日が5月12日であることが、制定の由来です。

ナイチンゲールって何をした人?と聞かれると、戦場で敵味方問わず献身的な看護をした「白衣の天使」というイメージがありますが、実は、ナイチンゲールの功績としては、ごく一部なのです。

そこで今回は、看護の日とは?ナイチンゲールって何をした人?について、お伝えします。

看護の日とは?どんな意味がある?

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公益社団法人 日本看護協会のサイトによると、看護の日とは、


21世紀の高齢社会を支えていくためには、看護の心、ケアの心、助け合いの心を、私たち一人一人が分かち合うことが必要です。こうした心を、老若男女を問わずだれもが育むきっかけとなるよう、旧厚生省により、「看護の日」が1990年に制定されました。

ということで、看護師など医療関係の人に限らず、みんなで看護、ケア、助け合いについて考えていこうという日なんですね。

ちなみに、国際看護師協会(本部:ジュネーブ)では、1965年に5月12日を「国際看護師の日」に制定しています。

看護の日・看護週間の期間中には、「忘れられない看護エピソード」の表彰式や、PR大使によるトークショーなどが行われています。2017年の看護の日PR大使は川島海荷(かわしま うみか)さんです。

ナイチンゲールは何をした人?功績は?どんな人だった?

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ナイチンゲールは、戦場で敵味方なく看護したというイメージがありますが、最も大きな功績は「病院内の衛生管理を徹底し、死亡率を激減させたこと」、そして、病院の状況分析のために統計資料を作成した「統計学の先駆者」でもあります。「白衣の天使」とはイメージが違いますね。では、ナイチンゲールの人生を詳しく見ていきましょう。

ナイチンゲールの生い立ちは?なぜ看護師に?

フローレンス・ナイチンゲールは、1820年5月12日に生まれたイギリス人です。

かなり裕福な家庭で、両親が2年間の新婚旅行の間に立ち寄ったフィレンチェで生まれたため、フィレンチェの英語読みであるフローレンスと名付けられました。新婚旅行が2年間とは、すごいですね。

ナイチンゲールは、語学、哲学、天文学、文学、芸術など、ぜいたくな英才教育を受けましたが、慈善訪問で貧しい人々の悲惨な生活を目の当たりにし、次第に人々に奉仕する仕事に就きたいと思うようになります。

そして、33歳で母や姉の反対を押し切り、看護師となるべくロンドンの病院に就職します。就職とはいうものの、無給であったため、家族で唯一の理解者である父が生活費を援助しました。

この当時、看護師の地位は低く、病人の世話をする召使いとみられていました。のちに婦人病院長となったナイチンゲールは、専門性を身につけた看護師の必要性を訴えました

ナイチンゲール、クリミア戦争の従軍看護師に

ナイチンゲールが病院に就職した1853年、クリミア戦争がぼっ発します。クリミア戦争は、黒海に面したクリミア半島などを舞台に、イギリス、フランスなどの同盟国とロシアとの戦争です。

1853年といえば、日本ではペリーが黒船でやってきた年で、ここから幕末といわれる期間が始まります。

クリミア戦争の状況は、ロンドンタイムスの特派員によって知らされます。それは、負傷兵がひどい扱いを受けているというもの。それを聞き、ナイチンゲールはクリミア戦争に看護師として従軍する決心をします。

友人であったイギリスの戦時大臣の依頼もあり、ナイチンゲールは、シスターや看護師38名とともに、戦地に向かいます。

ところが、戦地では、軍医長官らの拒絶にあってしまいます。

そこでナイチンゲールは、トイレ掃除から病院内に入っていくことにしたのです。その後、イギリスのヴィクトリア女王が味方となったこともあり、看護師の総責任者として活躍しました。

ナイチンゲールの功績とは?

ナイチンゲールが従軍した当時、兵舎病院の死亡率は高く、最悪なときは42%と半数近くになっていました。

しかし、その後、ナイチンゲールたちが衛生管理をしたことで、5%まで減少。のちに、死亡理由の多くは傷ではなく、不衛生な状態で感染症がまん延していたことが理由と推測されています。

1856年にクリミア戦争が終結した後、ナイチンゲールは病院の状況を分析した統計資料を、改革のためにつくられた委員会に提出します。そこからイギリスではナイチンゲールを統計学の先駆者としています。

ナイチンゲールの従軍看護師としての活躍は、戦争中の2年間でしたが、より大きな功績は、医療の衛生管理に貢献したことといえます。

その後、クリミア戦争中につくられたナイチンゲール基金で設立した、ナイチンゲール看護学校の運営に協力、それ以来、イギリス国内では看護学校がつくられ、専門職としての看護師の教育体制が整っていきました。

ナイチンゲールってどんな人だった?

ナイチンゲールは「クリミアの天使」「白衣の天使」といわれたり、英雄扱いされたりすることを喜びませんでした。

また、赤十字などのボランティアによる支援に反対していました。「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という、ナイチンゲールの有名な言葉があります。自己犠牲のみに頼る支援は、長続きしないという考えを持っていました。

ナイチンゲールは、90歳まで生きますが、37歳で心臓病をわずらい、その後約50年は、ベッドの上で本の原稿を書くことが活動の中心となりました。

看護師を専門的な職業にするために力を尽くし、医療の衛生改革を成しとげた女性。

自分の意見を持ち、相手がだれでも物怖じしなかったと言います。白衣の天使というより、有能なビジネスマンというイメージの人だったんですね。

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