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5月17日はお茶漬けの日!永谷園の祖先の偉業とは!?

2017/08/15

http://kininaru-trend.net

5月17日は、お茶漬けの日。

永谷園が「お茶づけ海苔」の発売60周年を記念して、2012(平成24)年に制定しました。

5月17日は、永谷園のルーツである、煎茶の創始者・永谷宗円の命日です。わたしたちが、きれいな緑色の煎茶が飲めるのは、この永谷宗円のおかげです。

今回は、お茶漬けの日にちなみ
・永谷宗円が”煎茶の祖”と言われる理由は?
・お茶漬けが広まったきっかけは?

について、お伝えします。

お茶の歴史と、永谷宗円が”煎茶の祖”と言われる理由は?

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お茶はいつから飲まれていた?

日本にお茶が入ってきたのは、奈良時代だと考えられています。遣唐使や留学生によって、中国から持ち込まれました。

このころのお茶は餅茶(へいちゃ)と呼ばれ、蒸した茶葉を臼でついて乾燥させ、固めたもの。今も、プーアール茶など、中国茶には、茶葉が固められた餅茶があります。

公家や寺院など一部の上流階級で飲まれていたお茶が、武士に広まったのは鎌倉時代。

きっかけは、南宋(中国)で学んだ栄西(ようさい/えいさい)が書いた、日本初の茶の専門書「喫茶養生記(きっさようじょうき)」です。

1214年に、鎌倉幕府の将軍・源実朝(みなもとのさねとも)に本書を献上し、お茶の効用を説きました。

栄西は、臨済宗(禅宗の一派)の開祖です。

そのときのお茶は、今の抹茶に近いもので、蒸した茶葉を乾燥させ、石臼でひいたものです。

どうして煎茶は作られた?永谷宗円の功績とは?

永谷宗円は、京都宇治のお茶農家で、江戸初期から中期の人です。

宇治は、室町時代には将軍・足利義満に、安土桃山時代には豊臣秀吉によって庇護され、宇治茶ブランドが出来上がりました。

そして、江戸時代には、茶の湯が正式に幕府の儀礼に取り入れられ、庶民にもお茶を飲む習慣が広まっていきました。

公家や武家が飲む抹茶にするものは、栽培に相当の手間がかかる碾茶(てんちゃ)という高級茶です。それに対し、庶民が飲むお茶は、蒸して乾燥させると赤黒くなり、味もよくありませんでした

そんな中、15年の歳月をかけ、1738年に宗円が編み出したのが「青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)」です。それは、蒸した茶葉を「もんでから」乾燥させるという方法で、茶葉は緑のままで仕上がります。

これにより、宗円は煎茶の祖といわれ、青製煎茶製法は日本全国に広まりました。

宗円はお茶の販売を、江戸の茶商の山本嘉兵衛に託しました。すると、「宇治の煎茶」はたちまち評判になり、山本嘉兵衛は莫大な利益を得ました。嘉兵衛は、今も続く「山本山」の初代です。

お茶漬けが広まったきっかけは?

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ご飯に、水や湯、汁をかけて食べる文化は、米食の文化が始まった頃からあったと思われますが、定かではありません。

保温技術がなかったため、湯をかければ温かいご飯が食べられ、古くなったご飯も、水で表面を洗って食べていました。

戦国時代のドラマで、武将が戦の前に「湯漬け」を食べている場面を見たことはあるでしょうか。湯漬けは庶民に限らず、貴族や武士も食べていました。

お茶をかけて食べるのが広まったのは、江戸中期以降

永谷宗円が生み出した煎茶の技術によって、庶民でもおいしいお茶を手軽に飲めるようになったからです。

まとめ

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なぜ永谷園が、お茶漬の日を、ルーツである煎茶の祖・永谷宗円ゆかりの日(命日)にしたのが疑問でしたが、宗円の技術によってお茶漬け文化が広まったことがわかり、納得しました。

永谷園の「お茶づけ海苔」は1952(昭和27)年に発売されました。

お茶づけ海苔には、あられが入っていますが、乾燥剤をかねる目的があります。あられ、海苔は定番で、他社もこれにならって作られています。

味もパッケージも、大きく変わることなく続いているのはすごいですね。

▼「日本茶」についてはこちら
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