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10月3日はドイツ統一の日!ベルリンの壁は勘違いで崩壊?

2017/08/31

http://kininaru-trend.net

10月3日は「ドイツ統一の日」

1990年10月3日に東西ドイツが統一され、ドイツ連邦共和国が誕生しました。ベルリンの壁が崩壊してから、わずか11ヶ月後のことでした。

この日は、ドイツでは祝日となっています。

今回は、「ドイツ統一の日」にちなみ、
・なぜ東西ドイツに分かれたの?
・ベルリンの壁は、どうして築かれた?
・ベルリンの壁が壊されたのは、ある男の勘違いから!?

についてお伝えします!

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なぜ東西ドイツに分かれたの?

ドイツが東西に分かれたのは、第二次世界大戦の敗戦が理由です。

1945年5月8日。第二次世界大戦で、ドイツが無条件降伏しました。

7月のポツダム会談により、ドイツは、戦勝国であるアメリカ、フランス、イギリス、ソ連(ロシア)によって分割占領されることになり、首都のベルリンも4分割されました。

そして、1949年に、アメリカ、フランス、イギリスの占領地域に西ドイツが、ソ連の占領地域に東ドイツができました。

それにより、西ドイツは資本主義・自由主義東ドイツは社会主義の国になったのです。

第二次世界大戦後、アメリカを中心とする資本主義・自由主義の国と、ソ連を中心とする共産主義・社会主義の国が対立する「冷戦」の時代に入りました。

つまり、もとは同じ国同士が「冷戦」状態となってしまったのです。

冷戦は、ベルリンの壁が崩壊した年である1989年まで、44年間続きました。

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ベルリンの壁は、どうして築かれた?

ベルリンの壁というと、東西ドイツの国境線にそって築かれた、長い壁をイメージするかもしれませんが、実はそうではありません。

東西ドイツに分かれる前、そして現在の首都でもある「ベルリン」は、ドイツを統治するための重要な場所でした。

そのため、ベルリンも分断され、西ベルリンは西ドイツ、東ベルリンは東ドイツとなりました。

しかし、ベルリンは、旧東ドイツの中に位置しています。つまり、東ドイツの中に、西ドイツの飛び地として西ベルリンが存在していたのです。

ちなみの当時の首都は、東ドイツが東ベルリン、西ドイツがボンでした。

戦後、経済発展をとげていく西ドイツ。東ベルリンから西ベルリンに流出する人が続出します。

特に知識人、専門職、熟練労働者の流出が増え続け、東ドイツ経済を脅かす事態となりました。

危機感をもった東ドイツ政府とソ連は、1961年8月13日午前0時に、突然、西ベルリンを包囲し、有刺鉄線を張りめぐらせます。

その後、築かれたのが「ベルリンの壁」です。最終的に、西ベルリンを囲い込み、監視塔と射撃台、有刺鉄線がついた3mのコンクリートの壁が築かれました。

しかし、その後も、西ベルリンに脱出しようとする人はあとを断たず、射殺された人もいました。

ベルリンの壁が壊されたのは、ある男の勘違いから!

wikipediaより

1985年、ソ連のゴルバチョフ書記長が就任し、「ペレストロイカ」という改革を掲げます。

ペレストロイカは「建て直し」という意味。

ソ連は、経済的に行き詰まり、西側に大きく遅れをとっていました。ゴルバチョフは西側と関係改善をしながら、経済を建て直そうとしたのです。

これをきっかけに、東ヨーロッパ各地で、民主化運動が広がっていきます。

東ドイツでも民衆の不満が爆発し、大規模なデモがおこります。

頭を悩ませた東ドイツ政府は、1989年11月9日、国民が西ドイツへ簡単に旅行できる法律を制定します。

しかし、すぐに発表してしまうと、東ドイツ国民がベルリンの壁に殺到すると考え、警備体制を整えた上で、翌日の午前4時に国民に発表することにしました。

ところが、東ドイツ政府の報道官・シャボウスキーが勘違いし、11月9日に、記者会見で発表してしまいます。

政府の予想どおり、東ドイツ国民はベルリンの壁に殺到、壁が壊されたというわけです。

このエピソードは、懐かしのテレビ番組『トリビアの泉』で紹介されています。

まとめ

かつて、ベルリンの壁は、21世紀になっても壊されないだろうとまで言われていました。

ベルリンの壁の崩壊は、世界があっという間に変わる劇的な瞬間でした。

裏には、こんな平和につながる勘違いがあったんですね。

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