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10月20日は皇后誕生日|天皇陛下を守ったエピソードとは!

プリンセスミチコ
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10月20日は皇后美智子様の誕生です。2017(平成29)年で83歳になられます。

美智子様のエピソードは数知れずありますが、今回は特に、天皇陛下を身を呈して守った2つのエピソードをお伝えします!

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まずは、美智子様のご経歴から!

美智子様は、1934(昭和9)年10月20日、正田家の長女としてお生まれになりました。

祖父は日清製粉グループの創業者の一人、父も日清製粉の社長・会長を歴任しました。

皇太子だった天皇陛下と出会ったのは、聖心女子大学を卒業した年、1957(昭和32)年8月のことです。軽井沢会テニスコートで開催されたテニス大会での出会いは、「テニスコートの出会い」として有名です。

当時は、皇太子が平民から妃を迎えるなど、考えられなかった時代。皇族や華族の中には反対した人もいましたが、結果的には、皇室会議で満場一致で結婚が決定、世間では「ミッチーブーム」がわきおこります。

1959(昭和34)年4月10日の「ご成婚パレード」は、皇居から渋谷の東宮仮御所までを馬車が走り、沿道には53万人が沿道を埋め尽くしました。また、生中継も行われ、テレビの普及率が上がったきっかけにもなりました。

前年の1958(昭和33)年には東京タワーも完成し、日本は高度経済成長期に入った頃のことでした。

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天皇陛下を身を呈して守ったエピソードを紹介!

さて、いよいよ本題です。

美智子様が、身を呈して天皇陛下を守ろうとしたことが、今まで二度ありました。そのエピソードをお伝えします。

ひめゆりの塔事件

一つ目は、1975(昭和50)年7月17日に沖縄でおきた「ひめゆりの塔事件」のときです。これは、献花のためにひめゆりの塔を訪れた皇太子夫妻に向けて、火炎瓶が投げつけられたテロ事件です。

このとき、当時皇太子だった天皇陛下と美智子様は、第二次世界大戦後、皇族として初めて沖縄を訪問しました。(沖縄返還は、1972(昭和47)年5月15日です)

沖縄解放同盟準備会と共産主義者同盟のメンバー2名は、事件の6日前の7月11日から、ひめゆりの壕に潜伏していました。

そして、献花のときに壕から飛び出し、火炎瓶を投げつけたのです。その瞬間、美智子様は片手を差し出し、皇太子殿下を守ろうとしました

でも、事前に潜伏しているかチェックしなかったの?という疑問がわきますよね。

警視庁から警備責任者として派遣されていた佐々淳行(さっさ あつゆき)氏は、ひめゆりの壕の安全確認をしたいと主張したものの、沖縄県知事から「聖域に土足で入るのは県民感情を逆なでする」と反対されたと自著『菊のご紋章と火炎ビン』 に記しています。

投げつけられた火炎瓶は、幸いにも献花台にあたり、両陛下に当たることはありませんでした。しかし、警官に守られて避難する際、美智子様は打撲してしまいました。

べにばな国体 発煙筒事件

1992(平成4)年10月15日に山形県で開催された「べにばな国体」で、天皇陛下が「お言葉」を述べていた際に、過激派組織のメンバーの男が天皇陛下にむけて、発煙筒を投げつけた事件です。

このとき、異変を感じた美智子様は、とっさに右手を差し出し、天皇陛下をかばおうとしました。幸い発煙筒はロイヤルボックスには届かず、大事に至らないとわかると、美智子様はすぐに元の姿勢に戻り、天皇陛下もそのまま「お言葉」を続けられました。

同じ年の10月23日から、天皇皇后両陛下は中国訪問を予定していました。これは、日本の天皇による初めて中国訪問でした。

男は「天皇訪中反対」「天皇は帰れ」と叫び、ロイヤルボックスに向かって発煙筒を投げつけたのです。

わずか数秒の出来事でしたが、美智子様の判断力、そしてお二人の毅然とした姿は、全国に放映され話題となりました。

まとめ

80歳をすぎても、精力的にご公務をおこなう両陛下。海外への訪問もほぼ毎年です。

生前退位も間近といわれていますが、ご夫婦ともに、いつまでも元気でいらしていただきたいですね。

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