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ひな祭りの由来や起源は?女の子のお祭りになった理由は?

2017/03/30

3月3日は、ひな祭り

由来や起源を調べてみると、
もともとは、女の子のお祭りではなかったことが
わかりました。

そこで、ひな祭りの由来や起源、
なぜ、女の子のお祭りになったのか
を、まとめてみました。

ひな祭の由来や起源は?

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ひな祭は、中国や朝廷の風習、子供の遊びが、
長い歴史の中で合わさったものとされ、
雛人形を飾る、ひな祭の形になったのは、江戸時代です。

ひな祭りは「五節句」の一つで、桃の節句とも言われます。

節句は、身の穢れを祓い(けがれをはらい)、
無病息災を祈る風習です。
3月3日の節句も、その一つ。
中国では、「上巳(じょうし・じょうみ)の節句」と言います。

古代の中国には、3月最初の巳(み)の日に、
水辺で身を清め、穢れを祓う(けがれをはらう)、
禊(みそぎ)の風習がありました。

『源氏物語(須磨の巻)』には、
光源氏が陰陽師(おんみょうじ)からお祓いをしてもらい、
人形(ひとがた)・形代(かたしろ)と呼ばれる人型に切った紙を、
舟に乗せて海に流すという話が出てきます。

紙で自分の身体をなで、病気や厄を紙に移すのです。

日本には、古くからあった風習と言われていますが、
中国の上巳の節句が由来と思われます。

鳥取県などの流し雛(ながしびな)は、そのなごりです。
この風習は、 「曲水の宴(きょくすいのえん)
という遊びに変化していきます。
西暦300年代の中国の書物に、この様子が描かれています。

庭園の曲水(曲がりくねった小川)に沿って座り、
流れてくる酒の杯が、自分の前を通り過ぎないうちに
詩歌を読むというものです。

その遊びが日本に伝わり、平安時代の宮中の行事になりました。
のちに「上巳の節句」は3月3日に定着していきます。

こうして、中国の「上巳の節句」と日本の古い風習、
そして「ひいな遊び」という、貴族の女の子の人形遊びが合わさり、
室町時代ごろに、ひな祭の原型ができあがりました。

ひな祭が女の子のお祭りになった理由は?

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節句は一年に何回もあるのですが、
ひな祭や端午の節句(5月5日)が今も残るきっかけになったのは、
江戸幕府が、五節句を公式の祝日に定めたことにあります。

江戸時代初期の1629年(寛永6年)、
京都御所で、盛大なひな祭が行われました。
戦国時代が終わり、世の中が平和を実感した頃です。

その後、大奥でもひな祭を行うようになり、
上流階級で行われた風習が、武家や町民に伝わり、広がっていきました。
江戸時代には技術が発達し、紙で作られていた人形も、
精巧で華やか
になりました。

そして、厄よけのために川に人形を流す風習が、
人形を飾ることに変わっていったのです。

こうして、人形を飾るという風習から、
女の子のお祭りとして定着していきました。
また、ひな祭と対になるものとして、
5月5日の端午の節句があります。

こちらも五節句の一つですが、初の武家社会である鎌倉時代に、
厄除けのための菖蒲(しょうぶ)を、尚武(武道を大事にすること)にかけ、
男の子に兜(かぶと)や太刀(たち)を送る風習が生まれました。
男の子のための端午の節句に対して、
ひな祭が女の子のお祭りになったとも言われています。

まとめ

ひな祭は、中国で「上巳の節句」に行われた水辺の禊(みそぎ)が、
自分の身代わりの、紙の人形を舟に乗せて流すという風習に変化し、
江戸時代になって、人形を飾る女の子のお祭りになっていった
ということがわかりました。

ひな祭は、桃の節句、
中国でも「桃花の節(とうかのせつ)」と言います。

桃の木は、魔よけ、厄よけに効果があるとされています。
桃の実を投げつけ、魔よけをするという話は、日本の神話にも登場します。
また、桃は不老長寿の食べ物とも言われ、
楊貴妃が好んで食べたそうです。

風水では、恋愛・結婚運アップの果物として有名です。

ひな祭は、今では女の子のお祭りとされていますが、
厄よけの「節句」として、
また、恋愛・結婚運アップの日として、
大人のひな祭をしてみるのも、おもしろいかもしれませんね。

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