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3月13日は新選組の日!由来は?日野市と新選組の関係は?

2017/03/31

3月13日は、新選組の日
東京都日野市観光協会が制定しました。

1863(文久3)年3月13日、
新選組の前身である「壬生浪士」に、
会津藩御預(おあずかり)とする連絡が入ったことに由来します。

ちなみに「壬生浪士組」は正式な名前ではなく、
この時点では組織化されていなかったため、
便宜上、使っていたものと思われます。

今回は、新選組の日にちなみ、
新選組が結成された理由やいきさつ、
日野市と新選組の関係について
、まとめてみました。

新選組が結成された頃の日本って、どんな状況だった?

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まず、新選組が結成された頃の日本は、というと・・・

ペリーが黒船でやってきたことから、
日本は、200年以上続いた鎖国を解き、
開国

しかし、異国嫌いの孝明天皇は、開国に反対
していました。

幕府の難しい立場や、
外国の状況を知らない人から見たら
「幕府は外国の言いなりになる、腰抜けだ!」
「天皇を無視するとは、けしからん!」
ということになります。


特にその思いを強めたのが、各地の下級武士の若者たち

政治の中心が、江戸から京都になっていたこの頃、
脱藩という大罪を犯してまでも、
尊王攘夷(天皇を立て、外国を打ち払う)の実現のため、
下級武士などの若者たちが、京都に集まってきました。

その脱藩浪士たちが、幕府の役人を殺すなどしたため、
京都の治安が悪化
していきます。

脱藩浪士は、幕末の志士とも呼ばれますが、
幕府からは、テロリストに見える過激派も多くいました。

新選組が結成された理由やいきさつは?

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そんな状況の中、将軍・徳川家茂が
天皇に会うために
上洛する
ことになります。
将軍が上洛するのは、実に、229年ぶり。

将軍の警護に頭を悩ませている中、
浪士を募集して、過激派を取り締まらせる
という提案をしたのが、清河八郎です。

彼は、庄内藩の下級武士でしたが、プレゼン力が高く、
毒(浪士)をもって、毒(浪士)を制す」
という案を
幕府が採用
します。

こうして、1862年(文久2年)、
将軍警護のために、江戸で浪士が募集され、
近藤勇、土方歳三、沖田総司といった、
のちに新選組幹部となるメンバーが集まったのです。

1863(文久3)年2月、将軍の上洛にさきがけ、
200名余りの浪士が京都に到着します。

ここで、新選組結成のきっかけとなる出来事がおこります。

清河八郎が、将軍警護のためではなく、
尊王攘夷のために働こう、と浪士に呼びかけたのです。

つまり、清河八郎は、過激派の志士と同じように、
幕府に反対する意見を持っていたのです。

あわてた幕府は、清河と浪士に、
すぐに江戸に戻るよう命令します。

その時、最初の目的である将軍警護をするため、
京都に残ると宣言したのが、
近藤勇の一派と、芹沢鴨の一派でした。

この、残ったメンバーが「壬生浪士」というわけです。

とはいえ、スポンサーがいなければ、
運営もできず、将軍のために働くこともできません。

そこで、幕府から京都の治安を守る、
京都守護職の会津藩主・松平容保に願い出て、
「会津藩御預」となったのです。

会津藩も、過激派の取り締まりに困っていたので、
反対する人もいましたが、
願ってもない、申し出でもあったのです。

その後、八月十八日の政変というクーデターでの活躍もあり、
1863年8月「新選組」を拝命するのです。

新選組は、公家からたまわった、
松平容保からたまわったという二つの説があります。

有名な池田屋事件は、翌年1864(元治元)年6月です。

1863年の
2月に浪士が募集され、

3月に会津藩御預、
8月に新選組を拝命、
新選組内部では、9月に芹沢鴨の一派が暗殺、切腹、
1864年6月に池田屋事件と、
めまぐるしく時は進んでいったんですね。

日野市と新選組の関係は?

新選組の日を制定したのは、日野市観光協会。
日野市と新選組には、深いつながりがあります。

最初の浪士募集に、一緒に参加した、
のちの新選組の中心メンバーは

近藤勇(こんどう いさみ)
土方歳三(ひじかた としぞう)
沖田総司(おきた そうじ)
井上源三郎(いのうえ げんざぶろう)
山南敬助(やまなみ けいすけ)
永倉新八(ながくら しんぱち)

原田左之助(はらだ さのすけ)
藤堂平助(とうどう へいすけ)
斎藤一(さいとう はじめ)

日野市は、土方歳三と井上源三郎の出身地です。

 

土方歳三の義兄(姉の夫)である佐藤彦五郎は、
日野の名主で、屋敷内に道場を持ち、
試衛館の道場主である近藤勇の支援をしていました。

近藤勇は、天然理心流・試衛館の養子で、
道場は新宿区にありましたが、
出身は、調布市です。

佐藤彦五郎の支援を受けていたこともあり、
日野や調布のある武蔵国多摩に、
よく出稽古にきていました。

 

近藤も土方も、農家の出身ですが、
武蔵国多摩は、幕府の直轄領ということもあり、
「将軍のために働きたい」という気持ちが
強かったのだと思います。

まとめ

日野市では毎年5月に、ひの新選組まつりが行われます。

旧暦の5月は、土方歳三の亡くなった月でもあります。

メインイベントは、隊士パレード。

パレード前日には、隊士コンテストが行われ、
近藤勇、土方歳三、沖田総司など、隊長が選ばれます。


新選組は、幕末の志士を取り締まった敵として
描かれることもありますが、
最後まで、将軍や幕府に尽くした一途さがあります。

そんな彼らに想いをはせ、
ひの新選組まつりや、ゆかりの地に
足を運んでみては
いかがでしょうか。

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